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漆・藍・土 自然と「ともに」つくる木版画 ① 青森以前

  • 09.08.2024

東京都美術館 企画展「大地に耳をすます 気配と手ざわり」の開催に合わせ、2024年8月24日(土)にトークイベントを行いました。お話した内容を4回に分けてお届けします。第1回目は、「青森以前」。これまでの作品の背景となる北欧での体験についてです。


 

【フィンランドの森で】

2002年(22年前!)にフィンランドのアーティストインレジデンス「Ateljé Stundars」で6ヶ月間滞在制作した。森林に囲まれた環境で、夏から冬にかけて森の変化を観察しながら日本の風土に育まれてきた木版画を制作し、環境による絵画の表れ方の違いを見てみたかった。毎日アトリエの周りの森や自然素材を観察し、その色や形をどう木版画に置き換えられるかを考えていた。

木版画シリーズ「Frozen Motion」は、日々刻々と変わる森の色をピックアップし、反復する版木の形をずらしながら摺り重ねていった作品。(画像は2002年ヴァーサ市立図書館での展示)

プリント・パフォーマンスとなった作品「Meteorite Root」では、赤い「てんさい」そのもの色を芋バンのように雪に押し付けて螺旋を描いた。気温-20度の中、何時間もかけてコツコツプリントしている姿を見て、「こんな寒い冬に外で遊んでるなんて!」と地元の人たちが嬉しそうに寄ってきては記念撮影したり新聞記事になったりもした。

 

【マーツェへの旅・サーミとの出会い】

そのレジデンスで出会ったアーティストに、もっと北のノルウェー側にマーツェという人口200人全員が先住民サーミの村があり、そこにアーティストインレジデンスがあると紹介してもらった。2003年の正月に到着し、初めは北極圏の太陽がない真冬の環境が見てみたくて訪れたが、滞在後もサーミの友人と交流を深めるうち、彼らが-40度にもなる厳しい冬の中、古来トナカイと遊牧し、手仕事によってその環境から身を守ってきたことや、彼らが話す言葉そのものに興味を持つようになった。そのきっかけとなったのが、エレンさんが私に作ってくれたトナカイのブーツだった。

真冬の正午ごろ。朝ぼらけのように明るくなって、太陽は顔を出さず沈んでいった。

「大阪の家が寒い」といったら、エレンさんがトナカイのブーツを作ってくれた。

 

木版画シリーズ「トナカイ山のドゥオッジ」はマーツェを初めて訪れてから10年後にまとめた。2011年に3度目に滞在した時、村の年配の方やアーティストなどを訪ね、手工芸やアートを通して自然との付き合い方が滲み出ている言葉を掬い上げていった。その言葉をまとめたのがリーフレット「トナカイ山のドゥオッジ」になる。ドゥオッジとは手工芸を意味するサーミ語だ。

 

取材して分かったのは、サーミの人たちは厳しい自然の中で生きるためにその自然から得た素材によって身を守るということ。人が自然を制しようとするのではなく、自然と共に「守る」という姿勢が語られる言葉の背景にあり、彼らの手工芸はそうした考え方の表れに見えた。

 

ベルト織をするエレンさん。

 

ゆりかごの細部。くり抜いたボート状の白樺にトナカイのなめし革があてがわれている。

 

「ドゥオッジは自然と協調する。例えば揺りかごを作る時、材木の樹皮を剥ぎ、樹皮の代わりにトナカイの皮を(木彫りしたゆりかごに)あてがう。本来あった自然のかたちに返してあげるんだ。」とトリグヴ・ランド・グットームセンは言った。

(『トナカイ山のドゥオッジ』より)

 

エレンさんのご主人で、画家のトリグヴさんはこう教えてくれた。白樺の丸太をくり抜いてゆりかごを作るとき、樹皮を剥いだ代わりに、出来上がったボート状のゆりかごにトナカイのなめし皮を貼り、白樺が生きていた状態に戻してあげる。それをトリグヴさんは「自然と協調(協力)してつくる」といった。他にもサーミが自然と呼応するエピソードが多々あり、私もそんなふうに自然から分けてもらった素材と、それが生きていた時のことを理解しながら呼応し、木版画を作れるようになれたらと思うようになった。そうして四角く製材された木材から離れ、むくの木の形を生かし、自然から得られる色でつくる木版画を「自然と関わる手段」と捉えるようになった。

 

こうした取材を経て制作した木版画シリーズ「トナカイ山のドゥオッジ」を日本で発表した時、長い間差別にあいながらオーロラの元でトナカイと暮らしてきたサーミを、彼らの社会的忍耐とは別に遠い国のお伽噺のように捉えられたり、サーミについての説明を求められても、たくさん説明したところで彼らについて本当に「理解される」ということはほとんどなく、作品と取材した事実が乖離して受け取られるような違和感があった。私はサーミの手仕事の姿勢から影響を受けて、木や自然素材と協調して木版画を作ってみたいと考えるようになったけれど、そうした自然に対する態度はきっと日本にも古来あるはずで、それならば同じテーマを日本で、同じく冬の厳しい地域で取材し制作してみたいと思い、木版画や林業が盛んで、山の動植物を知るマタギが暮らしたという青森の山地を次の取材地に選んだ。